水平レベルを意識するとうまく描ける

タイトル見て「りんごをデッサンするとき、水平レベルを意識するとうまく描ける」ってどういうこと?
って思いました?(笑)

 

りんごは、基本のモチーフとして、度々登場するのですが、描いてみると案外奥深いモチーフです。

 

一度描いた事がある方でも、同じモチーフを描く事で、自分の力がどのくらいついたかの指針にもなりますので、時々描いてみると良いと思います。

 

先日の添削で、分かりやすい内容があったので、ご紹介しますね。

りんごは誰でも一度は見た事があるモチーフです。

 

手に入りやすく、形も丸くてシンプル。

 

しかし、シンプルではありますが、上部の凹凸をどう表現すれば良いか?というところは、描ける人とそうでない人とで、ちょっと差が出る部分です。

 

りんごを描く時、一番ポイントとなるのは、この上部のヘタ(正確には果柄(かへい)と呼ぶようです)の周辺部分といっても過言ではありません。

 

りんごのゴロンとした丸みを出すと同時に、上部の凹んだ部分の表現がうまくいくと、りんごらしさが表現できます。

 

ですがこの凹んだ部分、ちょっとした見かたのポイントが分からないと、平面的な絵になってしまいます。

 

今回の受講生作品も、形は綺麗に取れていて、細かい模様の表現なども描写できているので、なかなか良いリンゴになりそうです。

平面的な絵からレベルアップするためには

もう一歩レベルアップするために、分かりやすい添削図がありますので、ご紹介しますね^^

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りんごの上の面を観察するとき、または描く時、このような「見かた」をしてみてください。

 

アウトラインに沿った形で見るのではなく、このように水平ラインを意識しながら考えてみましょう。こうすることで、手前と奥との差も意識しやすく、立体を感じやすいはずです。

 

この上面の表現がうまくいくかどうかで、下半分の立体が、どうなっているのかを、見る側は理解しやすくなります。

 

この「見る側が」というのもポイントです。

 

人間の目には、良くも悪くも「勝手に推し量る」という機能があるため、上面に、このくらいの距離感があるということは、胴体部分の量感もこのくらい「あるはずだ」と、認識するのです。

 

なので、この仕組みをうまく活用し、よりリアリティがあるように<魅せる>方法があるのです。

 

「見たままを描く」と言いながら、だまし絵みたいな事を言うなぁ・・・と、違和感を感じた方、鋭いです!(笑)

 

突き詰めて考えていくと、私たちの目の前にあるモノは3次元の物体ですが、目の網膜に映る画像は2次元のものなのです。

 

この3次元が2次元になった時点で、かなりの情報が抜け落ちてしまうため、今度は、見る側が、2次元の画像を3次元に戻す過程で、脳は過去の経験や、物理法則についての前提知識をフル活用しながら、見ているのです。

手がかりを絵の中に仕掛ける

だから「こう見えて欲しいな」という手がかりを、絵の中に仕掛けとして置いておくんですね。

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要するに「ぱっと見の印象」も大事ですよ。ということです。

 

「ぱっと見」がそれっぽかたら、本物っぽくみえるのです。

 

こう書くとなんかテキトーな感じに聞こえますが・・・(笑)

 

 

絵は絵であり、本物ではありません。

 

 

ですので、「見たまま」に描いたつもりでも「ぱっと見の印象」が合わないと、リアリティが出てきません。

 

そう。だまし絵なのです。

 

 

本物っぽく見えるために、一つ一つの「考え方」や「見かた」を身につけて行くのです。

そして技術をコツコツ積み上げることで、完成に近づくのです。

 

 

一つの事柄だけに執着せず総合的に考える力、バランス感覚を持つことが大事なんですね!

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映画「モリのいる場所」

さて話は変わりますが、先日「モリのいる場所」という映画を観てきました。

 

 

「モリ」とは、熊谷守一という、画家の話です。

 

山崎努さんと樹木希林さんが夫婦役でしたが、会話のテンポも絶妙で、お二人をずっと見ていたい感じでした。

 

事前に見た映画のHPでは、こんな紹介文がありました。

 

少し前に某番組で、オリエンタルラジオのあっちゃんがピカソについて次のようなことを言っていた。
「ピカソの絵は正直何が凄いのかよくわからないけど、彼の絵を理解できないということを大きな声では言いづらい空気が世間にはある」わかるわかる。 ピカソに限らず芸術家の作品って、凡人には理解できないものばかり…。 けど、あっちゃんは次のようなことも語ってた。
「ピカソが理解できないからアートは面白くない、ではなく、ピカソを理解できたらアートが面白くなるかもしれない」そうかもそうかも。
何事も理解することから始まるはずなのに、天才が蔓延る芸術の分野だけはそこを敬遠しがち…。 熊谷守一の作品もそうだ。
月並みな言葉で言うと、どことなく「味はある」。 ただ、どこがどういいのかはよくわからない。
もし彼という人間を知ることができたのならば、こんな自分でもアートに理解を示すことができるのだろうか?

映画:モリのいる場所

この文章が、なんだか分かるなぁ〜と思えたので、どんなお話か楽しみでした。

 

しかし、毎日毎日、庭の虫や魚、植物、自然をひたすら眺め、観察しているシーンが続き、庭のアリを毎日眺め続けているゲイジュツカを、皆さんどんな風に感じるのかなぁ?

 

私も絵を描くので、何となく言わんとする事はわかる気がしましたが、客観的に考えると、やっぱり変わり者だよなぁ〜と、思っちゃいました・・・(笑)

 

自分のペースで、ただただ自分のしたい事だけを日々楽しんでいるのかと思いきや、最後に「お父さんそろそろ学校の時間ですよ」という、奥さんの言葉に対して「いいなぁ、みんなは学校がなくて」と答え、画室へ向かって行った姿が、なんだか意外であり、ハッとしました。

 

熊谷守一は、どんな事を考え、どんな気持ちで絵を描いていたのだろう?

 

やはり、楽しいだけではなく、もがき苦しみ、その中から、あの平穏な絵が産まれたのだろうか?

 

映画の中では30年間、家の庭からほぼ外に出る事もなく絵を描き続けたとありましたが、76歳で軽い脳卒中で倒れ、

その後、目眩がするとのことで、それまでしていたスケッチ旅行もやめ、約20年間遠くに出かける事をしなかった、と知りました。

 

その場所にいる事を、自分から選んだ訳ではないと知り、与えられた場所で、楽しみを見出しながら、日々を暮らしていたのかなと想像すると、「俺はまだ生きたい」という映画の中に出てきた一言にも、より重みを感じました。

熊谷守一の『へたも絵のうち』

熊谷守一の『へたも絵のうち』という書籍の中に、

 

「研究所の書生さんに「どうしたらいい絵がかけるか」と聞かれたときなど、私は「自分を生かす自然な絵をかけばいい」と答えていました。下品な人は下品な絵をかきなさい、ばかな人はばかな絵をかきなさい、下手な人は下手な絵をかきなさい、と、そういっていました。」

 

「結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。自分にないものを、無理になんとかしようとしても、ロクなことにはなりません。

 

だから、私はよく二科の仲間に、下手な絵も認めよといっていました。」と言う、守一氏の言葉がありますが、

 

これは本当にそうだなぁと私も思います。

 

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「無理せず、自然体に・・・」というのは理想だと思います。

 

が、しかし、なかなかできそうでムツカシイですね。。。

自分らしさとは?

あなたは「自分らしさ」ってなんだと思いますか?

 

案外自分では気がつきにくいですね。

 

他者と比べる事で、自分らしさに気がつく事もあります。

 

時に、周りを見渡し、静かに自分の個性と向き合ってみるのも、良い絵を描くのには大切な時間だったりするかもしれません。

 

 

今回は、リンゴの描き方のポイントと合わせて、映画のことも書いてみましたが・・・

 

たまには気分転換もしながら、一歩一歩ですね^^

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